2016年10月21日午後2時頃。
職場で仕事中にゆら~りゆら~りと、揺れが来た。
津山市は震度4の地震。
震源地の鳥取県倉吉市では震度6弱の地震。
阪神淡路大震災のとき、大阪に住んでいた私。
その時の体感を思い出す時間。
津山は大したことはなかったけれど、
仕事を少し早めに終わらせてもらって、子ども四人のお迎えへ。
お迎えに向かう車の中でふと思い出したのは、
むかし読んだ翻訳小説の一場面設定。
その小説の家族は、ちょっとユニークな父親のもと、
色々な体験をしていく。
たしか、子どもは多くて四人くらい?
ユニークな父親のおかげで、家族もちょっと世間から浮いてるんだけど、
家族仲はとっても良い。
そんな家族は、アメリカ国内を飛行機で移動するときは
必ず、2便に家族が半分ずつに分かれて、飛行機に乗る。
理由は、ユニークな父親の信念から。
「万が一、飛行機が落ちても、家族の半分は残る」
果たして、小説内では実際に飛行機が落ちちゃって、
父親と二人の子どもが残る。
そんな設定。
この設定が信号待ちの車の中で久しぶりに頭をよぎった。
「今、私はひとところに子どもを集めるために、
車を走らせているけど、分散したほうが良い?」
なんて、自問自答。
もしも、家族二つに分かれて飛行機乗って、
飛行機が落ちちゃったら。。。。
「落ちる側の飛行機に乗ってたら、
残りの家族が生き残って、本当に良かった」
って思うだろうし、
「残った側の家族の立場になったら、
なぜ一緒に乗って、一緒に死ななかったのだろう?」
って思うに違いない。
なんてことを思って、涙がポロポロ流れてくる。

「まだ残っている家族がいて、良かったじゃない」
なんて、あんまり慰めにならない。。
家族が多ければ多いだけ、喜びの数も多いし、
悲しみの数も多いのか。
と、ポロポロ考えた、地震の日。
被災された方、お見舞い申し上げます。
このまま、地震が沈静化の方向にいきますように。